医療訴訟(裁判)の流れ

医療訴訟の多くは、以下の手順で進みます。

1 原告(患者さん等)が「訴状」を提出します。
2 裁判所が「訴状」を受理し、第1回口頭弁論日を決めて
  被告(病院等)へ送達します。
3 被告(病院等)が「答弁書」を提出します。
4 口頭弁論では原告被告双方の陳述が行われ
  必要に応じて争点整理、人証調べ、鑑定などが行われます。
  また、その間に和解勧告が行われることもあります。
5 口頭弁論が終結すると、裁判所の審議が行われ
  その後、判決言渡しとなります。
6 判決に不服があれば上訴することになりますが
  双方が納得すれば「判決確定」です。

医療訴訟での1~6にかかる期間を審理期間といい、
2021年の平均審理期間は26.7月(2年2か月)でした。
これは、民事裁判全体の平均の約2.5倍になります。

これだけ長引く理由は様々なことがありますが
先ず、医療過誤を立証するのに膨大な資料と専門知識が必要となることが挙げられるでしょう。

医療事故と医療過誤
医療訴訟では『過誤』の立証が必要

医療事故とは、医療の現場で起こる全ての事故の総称です。
そして
医療過誤とは、医療事故のうち、事故が予見されていた、
あるいは回避が可能だったにもかかわらず、
医療従事者の過失により起こってしまった事故のことを言います。

『事故』を避けることができたか?
それが『過誤』の判断基準のひとつです。

医療従事者に『損害賠償責任』を請求するためには、
医療者が職務上当然に負っている『注意義務に違反していないか』と
その『医療過誤が原因で患者側に損害が生じた』ことを立証する必要があります。

実際に、医療訴訟で争われたもののうち
病院側に注意義務違反が認められたのとして、
最近の判例では

〇集中治療室でのベッドサイドモニターのアラーム設定を誤り、さらにその誤りを見落としたため患者が死亡した案件について
大学病院側の過失を認め、6千万円以上を支払う判決(※1)

〇レントゲン検査の写真から大腿骨骨折を読影できず
その後、人工股関節置換手術に至った患者からの訴えに対して
医師に骨折を発見しなかった過失を認め、2千万円近くを支払う判決(※2)

などがあります。

※1 東京地方裁判所令和2年6月4日判決 判例タイムズ1488号229頁
※2 東京地方裁判所令和2年3月26日判決 医療判例解説93号103頁

医療訴訟の件数と平均審理期間(令和版)

1999年頃に、横浜市立大学病院での手術患者取り違え事件や
京都大学付属病院での人工呼吸器ボンベ誤交換事件など
医療過誤の報道が多発し、そこから医療訴訟件数が急上昇しました。
2004年の1110件をピークに減少に転じましたが
直近では800件前後で推移しています。

平均審理期間については、
1999年には3年近くであったのが短縮されてきましたが
令和以降、また少しずつ長引く傾向がみえます。

医療裁判の特徴
長い審理期間と低い認容率

冒頭でも少し述べましたが、
医療裁判の特徴として、審理期間が長くなることが挙げられます。

一般的な民事裁判では、約半数が6か月以内に結審しますが
医療裁判になると、半年以内で終了するのは1割程度。
約半数が2年を超え、約4分の1が3年を超えています。
しかも、上訴(判決を不服として上級審に提訴)率はが6割弱。
終結までは、長い長い道のりです。

そして、判決までに至らないケースも多く
最終的に判決で終結するのは3割程度です。

また、判決のうち、
原告の請求が全部または一部が認められることを
「認容」と言いますが、認容率は22.2%であり
一般的な民事訴訟が86.7%であることと比較すると驚く低さです。
それどころか、判決での終結は3割程度ですので
提訴全体からみると、
請求が認められるのは7%に満たないということになります。
上訴率が6割近い理由も、この数字ならうなずけるかもしれませんね。

患者側が医療過誤を立証するために
立ちはだかる高いハードルたち

認容率がここまで低い理由としては
医療過誤の立証は原告(患者)側で行う必要がありますが
患者さん側には、それを立証するだけの
知識や資料などを持っていない、ということが考えられます。

また、提訴するにあたり、
弁護士さんに相談することになりますが
医療を専門とする弁護士さんはほとんどいないのが現状です。

医療裁判では、医療で受けた様々な行為から
どの行為が過失にあたるか争点を整理し
その争点(のみ)について審理が行われるため
何を争点とするかが非常に重要になりますし、
証拠とされる診療記録(カルテ)も
今は電子化されていることが多いため、
どの部分を請求すれば良いかなどの判断は
かなり医療に詳しくないと難しいといえます。

訴訟準備にかかる時間については
審理期間には含まれていないのでデータはありませんが、
病院にカルテ開示を求めるだけでも時間と費用は相当なものです。

そして、それだけのことをしても
相当する認容額を得たとしても
それが「満足」に繋がるかというと、いかがなものでしょうか。

裁判はしたけれど…裁判の後の虚しさとは
ある医療過誤被害者のお話

「裁判は争点を絞るため、全ての事実を明らかにするものではない。
病院が結果をどう受け止め今後に生かすのかまでは示してもらえない。
結局、事故が教訓とならず、病院は何も変わらない。」

医療過誤でご家族を失った方の言葉です。

医療過誤で、大切な人を急に亡くし
直後は「信じられない」と何も考えられず
その後「私がもっとこうしていたら」という自責の思いと
医療者への不信感が募ったそうです。

その後、病院との話し合いの中では
「組織として、ちゃんと答えてもらえていない」
「担当者の言葉は威圧的に感じられた」

病院から一方的に通すと言われた医療事故審議会では
「患者は資料も見られず意見など聞いてはもらえない」
「見舞金という名の、説明のない保険金だけ渡された」

「このままだとお金だけで終わらせられてしまう。」
「事故を認め事実を客観的に形に残してほしい。
そして、私たちの思いに真剣に向き合ってほしい」
その思いで裁判を起こされたと言います。

裁判をして
「裁判所という第三者の介入があったことで
 ・事実を伝える ・質問への回答を受ける ・内容を文書で知る
という機会を得られたこと」が良かった。

けれども
「裁判は争点を絞るため、全ての事実を明らかにするものではない。
病院が結果をどう受け止め今後に生かすのかまでは示してもらえない。
結局、事故が教訓とならず、病院は何も変わらない。」
という冒頭の言葉になり、
「病院と対立構造になるのは苦しかった。」
と虚しさと苦しみが残ったと言われました。

望んだのは
「病院に事故を教訓として生かそうと努力する姿勢を見せて欲しい。
(私たち遺族の)痛みを共有して欲しかった。」ことであったのに、
これを裁判で得ることはできなかった。
それが悔やまれることで、裁判の限界を感じたそうです。

同じ過ちは繰り返さない
日々進化を続ける医療安全への取り組み

1999年に起きた医療過誤事件以降、
医療安全に関する取り組みは、さらに活発さを増しました。
患者さんやご家族が傷つかれたように
医療者も深く傷つき、どうすれば同じ過ちを繰り返さないか
様々な観点から勉強し、研鑽を積まれました。

今では、
手術や検査の前に、患者さんご本人に名前を名乗ってもらう
という取り組みは一般化していますし
酸素ボンベと他のボンベの繋ぎ口の形状を変えることで
人工呼吸器ボンベには酸素しか繋げないようにもなっています。

それだけでなく、医療安全への取り組みは日々進化し続けており
携わる方々のご苦労と使命感には、只々頭が下がるばかりです。

繋ぐことができるなら
医療訴訟の前に「対話による解決」を

そんな医療者の方々の姿を長く間近で見てきました。

だから、医療裁判の結果が
「病院に事故を教訓として生かそうと努力する姿勢を見せて欲しい。
(私たち遺族の)痛みを共有して欲しかった。」
と、虚しさと苦しみを残す結果になるのであれば
患者さん(ご家族)と医療者、どちらも救われない。
それではあまりにも悲し過ぎます。

裁判が必要な場合もあるでしょう。
けれども、患者さん(ご家族)と医療者の対話によって
お互いに寄り添うことができるかもしれない。
「対話による解決」が
選択肢の一つとなりますように。

フリーの医療メディエーター 燈芯草
患者さんと医療者の対話のお手伝いをします

不幸な医療事故を繰り返さないために…
患者さん(ご家族)と医療者、どちらもが同じ思いを持っているのに
医療訴訟でお互いが傷つきあう結果となる不幸は避けたい。

そのために、フリーの医療メディエーターが
患者さん(ご家族)、病院それぞれのお話をじっくりと聞いたうえで
お互いが安心して『対話』をするお手伝いをします。

先ずは、お問い合わせフォームからお問い合わせください。